中央大学の海部健三です。本日、7月30日は2016年の土用の丑の日です。ウナギの減少が問題視されるなか、その対策はなかなか進みません。その理由の一つとして、社会のシステムが抱える問題が放置されていることがあると考えています。
ウナギの減少とナマズの台頭
ニホンウナギは、急激に減少しています。日本の河川や湖沼におけるウナギ(いわゆる天然ウナギ)の漁獲量は、1960年代には3000t前後でしたが、2013年にはわずか135t、2014年には112tにまで減少しました。2013には環境省が、2014年にはIUCN(国際自然保護連合)が、それぞれ絶滅危惧種に指定しています。養殖されている全てのウナギは天然のシラスウナギ(ウナギの子ども)を捕まえ、養殖池で育てたものです。養殖とはいえ、消費されているウナギは、その全てが天然資源なのです。
このような状況の中、今年も土用の丑の日を迎え、ウナギに関する様々な報道が流れています。目立つのは、代用品として注目を集めるナマズです。「ウナギに近い味のナマズ」の養殖法が開発され、大規模小売店にも流通するようになっています。「ウナギ味のナマズ」は、ウナギ資源減少の問題を解決するのでしょうか。
YOMIURI ONLINE 2016年7月30日
「「ウナギ味のナマズ」土用の丑の日、全国店頭へ」
ナマズと完全養殖技術とウナギ
1990年代、ウナギは日本国内で年間に15万トン以上も消費されていました。現在の消費量は4万トンであり、潜在的な需要は巨大です。「ウナギ味のナマズ」のような新しい養殖技術の開発は、経済の発展という観点からは、非常に価値のあることです。しかし、ウナギの供給量が激減した現状では、代替品の果たす役割は、不足分の補填に過ぎないのではないかと、疑問を感じます。上記YOMIURI ONLINEの記事では、ウナギ養殖業の方が「代わりの魚を探さないと経営が成りたたない」とコメントしています。このコメントは、「入手可能あれば、ウナギを入手する。不足分をナマズで賄う」と読み取れます。おそらく、「ウナギ味のナマズ」に、シラスウナギ漁獲量の削減をもたらす効果は期待できないでしょう。
ウナギの救世主と目されている、人工種苗生産技術(いわゆる完全養殖技術)の開発についても、同じことがいえます(ウナギの人工種苗生産技術は、現在のところ実用化されていません)。以下の日経新聞の記事のように、人工飼育下で孵化・飼育されたシラスウナギを養殖に利用すれば、天然のシラスウナギを採らないですむため、ウナギの資源保護につながるという考え方もあるようです。しかし、ピーク時の3分の1以下の供給量しかない現状では、人工種苗は天然のシラスウナギの不足を補う役割しか果たせないでしょう。
日経新聞 2015年7月22日
「絶滅危惧種 ウナギ資源を守る」
重要なのは社会のシステム
ナマズも人工種苗生産技術も、現状では天然シラスウナギの消費量を削減する効果を持たないと考えられます。それでは、これらの技術開発は、ウナギの減少を止めるために、まったく役立たないのかといえば、そのようなことはありません。重要なことは、技術を開発して後は消費の動向に任せるのではなく、その技術が役立てられる社会のシステムを構築することです。
ウナギの消費に関わる最重要課題は、科学的根拠に基づいた消費の上限を定めることです。「ここまでなら消費しても大丈夫」という量を明確に定め、厳密に守ることです。現在、水産庁は養殖に用いるシラスウナギの量を21.7トンまでと定めていますが、実際にはここまで漁獲することができません。つまり、この規則があってもなくても、シラスウナギが漁獲される量は変わらないのです。科学的な根拠に基づいた上限量の設定こそが、喫緊の課題です。水面下で少しずつ動きはありますが、この動きを加速する必要があります。
明確な上限が設定されれば、養殖のためのシラスウナギを入手できずに経営が行き詰まる業者が出るでしょう。ここで、ナマズや人工種苗が活躍できるはずです。天然シラスウナギ漁獲に対する厳格な上限量の設定でシラスウナギが入手できず、池が遊んでしまうことになりそうなとき、ウナギの人工種苗を用いたり、ナマズを養殖することで、個々の業者は経済的な危機を回避できる可能性があります。
「安いウナギは食べるな」は正しいのか
ナマズや人工種苗の話題から離れますが、近年のウナギの減少とともに、「ウナギはもともと高価な食べ物なのだから、スーパーやコンビニで安いウナギを売るのは良くない」、「安いウナギの大量消費によってウナギ資源が減少したのだから、手間をかけて調理したウナギを、たまに食べるようにするべきだ」との意見を目にすることも多くなりました。これらの意見を表明する方々のお気持ちは十分に理解できます。しかし、「ウナギの減少」という問題の解決を考えたとき、これらの主張はどのような役割を果たせるのでしょうか。
ウナギ、例えばニホンウナギの個体群(水産学的には資源)の回復を考えたとき、現状では消費を削減すべきです。消費の削減は、消費者の意識改革ではなく、システムでなされるべきではないでしょうか。科学的根拠に基づく明確な消費上限量が定められれば、あとは各経営体のやり方に任せることができます。厳格に設定された上限さえ守っていれば、500円でうな丼を販売しても、1万円で高級うな重を販売しても、それはそれぞれの経営体の考え方と努力の結果であり、社会が制限すべきものではありません。
もちろん、「ウナギはきちんと料理して食べるべき」という、個々人の方の考え方を否定はしません。しかし、それはあくまでも個々人の価値観であって、他人に押しつけるものではないと考えています。また、「私は安いウナギを食べない」という意識の表明が、即座に価値観の押しつけとは言えないことも、理解しています。問題は、ウナギ減少という問題をどのように解決するのかという課題に対して、このような主張が適切な問題設定なのか、ということなのです。
消費者の意識の重要性
それでは、社会のシステムが変わるまで消費者は何もできないのでしょうか。そのようなことはないと思います。社会のシステムの改革は、最終的には立法府と行政府が行うことです。しかし、社会には未解決の問題が多数存在するため、立法府と行政府は、これらの問題に対して優先順位をつけて対応します。ウナギ減少に関する問題に対して、社会のシステムの変革(例えば科学的な根拠に基づいた厳密な消費上限を設定すること)が進まないということは、この問題が立法府と行政府にとって、まだ重要性が低いと認識されている、ということではないでしょうか。
このような状況で消費者、言い換えれば市民ができることは、ウナギの問題を社会問題化することです。「将来もウナギを食べたい」「孫やひ孫にもウナギを食べさせたい」「持続的な利用のための新しい対策を打つべきである」という声が高まれば、立法府と行政府は動かざるを得ません。
今年の土用の丑の日の報道を見る限り、まだ、ウナギの問題は社会問題にはなっていない、と感じました。このような状況では、立法府と行政府にとって、ウナギの問題の優先順位は高くないと思われます。ウナギの保全と持続的利用のために社会のシステムの変革が必要であるという認識が広がり、市民の小さな声が集まって重要な社会問題として提示されていくことこそが、ウナギ減少の問題の解決につながる、唯一の道ではないでしょうか。
2016年7月30日(土用の丑の日)
海部健三