2016年11月8日付けの水産系業界紙みなと新聞に「ウナギ闇取引是正で論争」と題した記事が掲載され、水産庁の「闇取引があっても、現行の池入れ数量制限で管理可能」とする見解と、専門家の「ウナギの獲れた場所や量が分からなくなり、資源の分析や管理に支障となる」との見解が対立していると報じられています。ウナギ減少の問題を解決しようとしたとき、重要なプレイヤーとなる行政と専門家の間に無用な(または過剰な)対立があるとすれば大きな問題です。この「論争」については、なあなあにことを納めるという意味ではなく、早急に適切な対応をする必要があるでしょう。そこで今回の「対立」について、行政と専門家の間にはどの程度の意見の対立があり、その対立の背景にはどのような原因があり、どのように解決すべきなのか、考えてみました。
水産庁と専門家の「対立」
ことの発端を探るとながく時代をさかのぼることになりますが、直近の「論争」の発端として考えられるのは、10月12日に開催された自民党水産部会における水産庁担当者の発言です。10月17日付けのみなと新聞によれば、シラスウナギの国内漁獲のうち、半分以上が適切に報告されていない(密漁や密売が横行している)現状について、議員や関係者から質問や意見が述べられたのに対し、水産庁担当者は「闇流通はシラス高騰につながるものの、資源管理とは別問題。闇流通のシラスも、最終的には養殖池に入る」と発言した、とされています。
これに対し、10月29・30日に開催された「うなぎ未来会議2016」の専門家によるニホンウナギの絶滅リスク評価会議の中で、この発言を前提に、シラスウナギの密漁や密売がうなぎ資源管理に与える悪影響について議論がなされました。「うなぎ未来会議2016」で専門家より提示された意見は(1)密漁・密売によって漁獲量や漁獲努力量が不明確になり、資源量解析の妨げとなる、(2)違法行為が取り締まれない状況では、適切な漁業管理は望めない、(3)違法行為が野放しの状態では、(業界も含め)ウナギに対する社会的な支援を失う、の3点でした。私自身は、この三つの意見すべてに賛成します。つまり、水産庁とは「対立」する見解です。
どこまで「対立」しているのか
実際に水産庁担当課の方々の意見を聞いてみると、「密漁・密売など、適切に報告されていない漁獲が半分程度を締めている現状を、このままで良いとは思っていない」ということです。つまり、水産庁にも違法なシラスウナギの漁獲や売買を根絶する(少なくとも減少させる)意思は明確に存在します。また、シラスウナギの密漁や密売がウナギの資源管理に悪影響を与える、ということも認識されているようですので、水産庁と専門家の間には、実際には、根本的な意見の隔たりがあるわけではないように見えます。多分に私見が入りますが、この意見の「対立」は、現行制度の是正に比較的積極的な専門家と、比較的消極的な行政(水産庁)の温度差のずれが表面化したものではないでしょうか。そうだとすれば、その温度差はなぜ生じるのか、考えてみました。
「対立」の背景にあるもの
なぜ専門家と行政に温度差が生じるのか。その理由は、それぞれの仕事の進め方の違いにあるのではないかと考えています。専門家、特に大学教員はリソース(資源)が準備されてから、初めてエフォート(努力量)を割きます。ここでいうリソースとは、予算、人員、組織、規則、協力者など、仕事を進めるために必要なあらゆる資源を想定しています。
専門家の例として大学教員を想定すると、大学教員はリソースがなければエフォートを割きません。大学教員はある程度自律的に研究テーマを設定できるため、新しい研究テーマの着想を得たら、助成金を得るなどリソースの準備をしてから、実際の研究に取りかかります。そして、予算が得られない研究テーマについては、研究を行わないのです(予算がない研究テーマであっても、無理して多少進めることはあります)。その一方で、行政の場合は新しい行政ニーズに対応する必要が生じたとしても、これまで行ってきた仕事を捨てるわけにはいかないでしょう。予算や人材といったリソースが限定されている中でも、新しいエフォートを受け入れざるを得ない場合があるのではないでしょうか。
このような専門家と行政の立場の違いを考えてみると、新しい仕事を始めることに対する姿勢、または言明は、自ずと異なってくるはずです。大学教員などの専門家は新たな問題に積極的に関わるべきであると叫び、しかしリソースが得られなければ何もしないという判断が可能です。専門家社会では、「予算が得られなかった」は研究を行わない理由として十分に通用します(なお、私は、このことをおかしいとは思っていません)。これに対して、行政はやると言ったらやらざるを得ませんので、リソースを含む現在の状況をみながら、慎重にならざるを得ません。極端な場合、解決可能な状況になるまで「この問題に取組む」と宣言することはないかも知れません。そのような場合、専門家と行政が最終的には同じ方向を向いているとしても、それぞれの立場の相違により、発言の中身は大きく異なっているように見えるでしょう。
政治が果たす役割、市民が果たす役割
このような状況では、ウナギに関する諸問題を解決することは難しいでしょう。行政がウナギの問題に正面から取組むためには、予算や人員といったリソースの提供が欠かせません。リソースを提供できるのは、政治の力です。つまり、ウナギ問題の解決には政治の力が欠かせないのです。提供すべきリソースとしては、予算や人員だけでなく、立法や組織づくりといったシステム面も含まれます。このところ話題になっているシラスウナギの密漁・密売について考えると、例えば県をまたぐ取引の規制緩和など、水産行政によって改善が可能な部分も存在しますが、単純な所得隠しとしての過小報告や、反射界組織の資金源としての密漁の規制など、水産庁を筆頭とする水産行政が単独で対処することは不可能な問題が多く含まれます。このため省庁間の協力体制、国家行政と地方行政の協力体制を構築することも、政治の力に期待される部分です。同じことは、ウナギの成育場環境の回復についても言えます。河川や沿岸域の管理や環境保全、水産、農業に関わるあらゆる行政単位が協力して初めて、成育場の環境回復は前進するでしょう。
ウナギ減少の問題を解決しようとする中で、政治が果たすべき役割はある程度明確になってきました。それでは、市民が果たす役割はどのようなものでしょうか。市民には、ウナギ減少の問題の優先順位を上げることができます。政治の重要な役割のひとつは、限られたリソースの配分です。ウナギの問題、シラスウナギの密漁や密売の問題も、それが重要な政治課題であると認識されない限り、政治は動かないでしょう。「将来もウナギを食べたい」「密漁や密売されたウナギは食べたくない」「自分の属する社会が持続的であって欲しい」という望みが多くの市民から発せられることで、ウナギの保全と持続的利用、ひいては資源の持続的利用や環境保全という問題の優先順位を、上げていくことができるのではないでしょうか。インターネットで調べてみる、お昼時の話題で話してみるだけでも、問題の解決に近づくような気がしています。市民がウナギの減少を重要な問題として捉えていないとすれば、問題は解決されず、さらに悪化を続けると思われます。まずは、現状を知ることが重要です。
2016年11月14日
中央大学 海部健三